ボーカル戸澤の問答無用日記


■2011年7月号      「暑すぎやしませんか?」                        NO.120
梅雨はあけたのかな?
いわゆる「梅雨」といった感じはありませんね・・・。
夏の始まりが早すぎやしませんか?
親知らず抜歯が刻一刻と迫っています。
6月からの猛烈な暑さとあわせ、憂鬱な7月になりそうです・・・。
皆さん、体調はお変わりありませんか?
今月でめでたく39歳になります。
こうして「39歳」と活字にしてみて、今、少しだけ実感しました。
常々、全く意識せず生活していましたが・・・現実というやつですか。
30代も後半も後半!
ほぼ40歳なんですな!
「だからなんだ?」とも思いつつ、「ヨンジュー」という響きとの改めての対面に、少し戸惑いつつ。
話は変わります。

今回の地震、被災地の方達の暮らしは少しずつでも良くなっているのでしょうか?
完全なる復興は時間がかかるにせよ、何か一つ、少しずつでも目に見えて良くなっていって欲しいです。
それが明日への希望になれば・・・。
それが国民への勇気にもなると思います。
つくづく日本は総理が短命ですね。
そんな事で、中長期的なビジョンを描いた政策が出来るのだろうか?
各国首脳との親密な関係が築けるのだろうか?
小泉さんを除き、その前後ずっと同じ繰り返し。
マスコミに叩かれ、人格までも否定され、我々もそれに乗っかって(反省!)。
これじゃいけないような気がします。
もっともっと腰を据えて、被災地の復興、ビジョンの提示、これからの年金や医療や少子高齢化社会の事や国防や、それこそエネルギー政策や。
ねじれ国会なんて民主主義の理想なんじゃないですか?
それで進まないなら、二院制が日本には合ってないのでは?
じゃあ中国みたいな一党独裁がいいですか?
リーダーシップとはある部分ではそういうものかもしれません。
実際、中国の外交や政策は良くも悪くも一貫はしてます(覇権的、威圧的、内外ともに圧力的、閉鎖的・・・)。
以前、尖閣諸島付近で中国の漁船を装った武装船が海上保安庁の船に突っ込む行為がありました。
その際、菅さんは沖縄の検察の判断に任せるという、大失態を犯しました。
船長を帰国させるなよ!
国として断固「日本領海への侵犯であり、日本の国民感情を逆なでする行為である!」としっかりと抗議をして欲しかった。
言わないという事は主権を放棄したと思われてもしょうがない。
海上保安庁の方達は何を信じ、何を支えに任務を行えばよいのか?
この時の菅さんの対応には幻滅した。
じゃあ今。
総理が変わらないと、復興は進まないのか?
変われば進むのか?
誰がやれば国会はまとまるのか?
てな話を、国民抜きで政治家がしている様子が、滑稽でならない。
そんなのんびりしてる場合じゃないだろ?
誰でもいい、何でもいい、一分一秒でも早く被災者の方達が安らげる環境を作って欲しい。
そして、この国の行く末、少しでも明るい未来を描き、見せて欲しい。
その上での負担なら、自分は喜んで受ける。
結局は自分達が選んだ人達のリーダーなわけで。
それは我々にも責任はあるわけですが・・・。




■2011年6月号      「3~5月の日記お休みしてすいません!」             NO.119
いつもメンバーには、「時間がないなんて言い訳だ!」とか「どれぐらいやり遂げようかという気持ちがあるか無いかだ!」と叱咤し、曲作りやライブ、バンドへの取り組みに対し気持ちを高めていこう!とハッパを掛けている私ですが、年度末~年度初めにつき「忙しくしておりました」と、言い訳をさせてもらいます。
つい先日のライブにてお客さんより「日記を楽しみにしている」と、大変希少かつ貴重な言葉を頂き、我にかえりました。
つまり、思い出しました。
「書かなければ・・・」と。

さて、前回の日記でラハイナ閉店についてお知らせしましたが、今回も自分にとっては大変残念なことですが、MOGA THE \ 5解散・・・。
中学2年生の夏休み、野球部の友人と地元レコード店へ向かった。
友人は、長渕剛の「NEVER CHENGE」というアルバムのLPレコードを買った。
すぐに借りて、カセットテープにダビングし、北側にしか窓がない薄暗く暑苦しい自宅の部屋のエアコンを入れ、休み中ずっと聴きまくった。
アイドルとか芸能人とかじゃなくて、本物の心の歌だと、勝手に何かが芽生えた。
アコースティックとかフォークとか、いいなと思った。
中学3年生のある夜、「夜のヒットスタジオ」なる音楽番組で、ボロボロのジーンズにTシャツ姿で、ツバを吐き散らし、蛇のように舌を出しながら、狂ったように、「ドブネズミみたいに 美しくなりたい」と歌うバンドに出会った。
あきらかに他に出演している綺麗に飾られた人達とは違った。
でも、ものすごく身近で、リアルに感じた。
ROCKもPUNKもピストルズも何も知らないけど、音楽に一歩、完全に足を踏み入れた。
引きずり込まれた。
ブルーハーツやボーイやラフィンや。
バンドブームと呼ばれ、色々なバンドが世に現れた。
高校に上がり、BANDを始める友人が羨ましかった。
そんな奴らと色んな話をした。
音楽というよりは、その歌詞やメッセージについて。
そんなある日、友人がオムニバスカセットを貸してくれた。
名だたるバンド達の中で、とにかく印象的だったのが、速いビートに流れるようなメロディーを乗せ「忘れはしないぜ ボギーの歌声は恋しくて ああ今日もまたお前のチャンネルをまわすのさ」と歌うバンドだった。
歌声と当時の自分の知識にはない稀な楽曲が凄いインパクトだった。
おっと、このくだりはこれまで何度も書いたことがあるような・・・ でも繋がってるんだよ。
だから続けます・・・ 二十歳を過ぎ、何かがやりたいとバンドを始め、地元のレコ屋に出入りするようになり、インディーズコーナーの7epをチェックするのが楽しみとなった。
洋邦問わず、メロディアス、ポップ、ハードな、それはそれは刺激的な宝箱のようなもの。
ある日出会ったオレンジ色のそのジャケは、尖ったような、丸みを帯びたような、何とも言えないタッチで描かれ、店員さんに即、試聴をお願いした。
攻撃的なギターリフ。
激しく様々な表情を見せる展開。
おおよそ、その上に乗ることは想像も出来ない楽曲の上を、見事に流れる聞き覚えのある歌声。
押し付けではなく、メッセージでもなく、それでいて何かを考えさせられる歌声、言葉。
裏ジャケに記された見覚えのある名前・・・。
そこからモガの虜となった。
たぶん15年位前かな?鈍行列車に揺られ大阪のライブハウスに押しかけ、デモテープを受け取ってもらい、連絡先を教えてもらい・・・。
音源の感想を尋ねると、ハッキリと感じた事を言ってくれた。
それが凄く嬉しくて。
いろんな方達に渡したけど、やっぱり当たり障りのない感想しか頂けなかった。
当然だよね、どこの誰だかわからない初対面の人に対して。
自分でもそうすると思う。
でも、渡した側からすると、厳しい意見を言ってもらえることは、とても有難いことなんです。
そこから、何度も何度もお願いして、やっと一緒にライブをやらしてもらい、ツアーでは豊橋に来てくれ(感激の嵐!)、大阪でのレコ発に出演して頂けた。
本当に本当に素晴らしいチャンスを頂いた。
時間の流れはあっと言う間である。
2011年5月15日、東京でのラストライブ。
いよいよ迎えたこの日。
いつもの通り、最高のライブだった。
「本当に終わりなのか?」と疑いたくなるような。
激しく温かく強く優しく美しく。
お客さんは何度もアンコールを叫んだ。
それに応え、何度も何度も何度もステージに出てきてくれた。
古い曲もたくさん聞けた。
素晴らしい空間だった。
集まった皆、「大丈夫。君なら一人で歩いて行けるよ!」と背中を押されたような気持になったんじゃないかな?
自分はそう感じた。
本当に色々とお世話になりました!
ありがとうございました!!!

その他、3~5月の出来事を箇条書きで・・・

3月○日 仕事の関係で、請求データー作成・送付のためフロッピーディスクを使用してきたが、「生産中止」となり、手に入りづらくなり、あちこちの電器屋を捜し歩いた。
なんとか見つかったが、今後、システムの変更をしなくてはならない。
今更フロッピーかよ!とお思いでしょうが、めんどくさがりで変えずにここまで来ました。
3月11日 東北地方大震災 職場も揺れた。
ゆっくり比較的長く。
すぐTVには火災の映像が流れていた。
それから数日、津波の映像がしばらく流れ続けた。
自分の脳が情報を処理しきれていない事がわかった。
体調を崩すご利用者もみえた。
捜索活動、避難所の苦労、沢山の行方不明者や亡くなられた方々。
そして原発・・・。
職場のスタッフ有志で義援金を集め送った。
でも、これで終わりではない。
今まさに大変な状況が続いている。
長い道のりだと思うが、少しでも早く安心した生活が取り戻せることを願うばかりです。
自分に出来る事を一つ一つ。

4月全般 年度初めはバタバタさん・・・

4月末~5月初め ゴールデンウイークって何ですか?
自分は仕事でしたが、自動車関係の方達は震災の影響で逆に「仕事がない」と。
仕事があるってことはどれだけ有難いことか。
痛感しました。
5月○日 定期検査のため歯科受診。
始めての試み。
歯のクリーニングを期待するも、ちょこちょこっとやって終了。

「それよりも・・・」

と、レントゲンを見ながら、親知らずを抜く事を進められる。
歯茎から歯が出てきていない為、歯茎の中で虫歯になっている可能性もある。
その虫歯が奥歯の根っこを虫歯にしてしまっているかも。
そうなったら大変!
すぐに抜歯を!
さらに、高齢になると危険を伴う為、君は迷う暇なし!
抜歯手術をすべし。
市民病院クラスの病院で手術の予約をしてください・・・と。

頑張ります・・・

5月○日 年に1回の健康診断。
今年も例年同様のトコで引っ掛かった。
体重が4kg減っていた。
元々体重変動が少ない方なので、心配である。
「もう若くない」というフレーズに慣れてきてしまっている。

5月15日 モガ・ラストライブ@東京の当日。
田んぼの除草剤散布を親父様より仰せつかっており、モリケン・すがちゃん&息子とともに朝から決行!
息子は大喜びで、モリケン・すがちゃんに虫取りなど遊んでもらい大喜び。
田んぼの中を歩くのは大変だ!
疲れた!
東京への道中、睡魔に負け、モリケンにハンドルを預けた。

5月21日・22日 グーフィーレコ発の三重&名古屋に出演 勝手知ったる戦友との週末ツアー(サポート)。
高い意志を持った地元バンドの熱量に期待大。
名古屋は、アスパラ、ノットリとも相まみえる貴重な機会。
アトエニの若さが何時にも増して輝いてた(THEオーバー30の集い) オリジナル音源からすると10年ぶりぐらいになるんじゃなかろうか?
短パン、Tシャツで飛びまくる姿が一番似合う。
新曲も早く聴きたい!
この日の遠藤君の目は輝いてた。
涙か、汗か?
ツアーは始まったばかりだ!
頑張れグーフィー!!!
そんな徒然 そんなこの頃




■2011年2月号      始まりがあれば終わりがある                     NO.118
今年の冬は寒いです。

久々にチェーンをまいて出勤しました。

5~6年ぶりです。

喉にもこたえました。

かなり乾燥していると思います。

咳が止まらなくなりました。

夜も眠れません。

喉の奥が腫れています・・・。

さて、ご存知の方も多いと思いますが、豊橋LAHAINAが2月で閉店することとなりました。
自分達がバンドを始めた頃を思えば、数年前までの10年間くらいは、恵まれていた時代だったのかもしれません。
それまで(わかりやすく言えば、ハイスタが地方のライブハウスを回り始め、にわかに話題となり始め、「インディー」という言葉、「アンダーグラウンド」という言葉、それらを扱うメディア・雑誌などが賑わいだす前夜、な頃)は、自分達が行きたいと思うバンドのライブ・ツアーは東京~神奈川~浜松~名古屋・・・な感じでした。
厳密にいえば、僕らの地元の先輩方(サイコビリー、ロカビリー、ジャパコア)は、豊橋を盛り上げるべく様々な努力で企画をされていましたが、自分が好きなPOPなパンクや誤解を恐れずにさらに簡単に言えば、「メロコア」ムーブメントやシーンは豊橋にはありませんでした。
好きな人は沢山いたと思いますが。
そんなこんなで、DR.SNUFKIN!
盟友でこちらも日本語詞全開アオリンゴジュースと力を合わせ(こちらがおんぶにだっこでしたが)ずっこけコンビで、あれやこれや、試行錯誤するのです。
全然英語詩でもなく、全然メロコアではありませんが、好きでしたし、影響も大いに受けました。
そんな、「呼び名」はどうでもよくて、自分達のやりたいことを表現する場所が欲しかったのです。
「自分達がやりたいと思うバンドに、いかに豊橋に来てもらうか」
「自分達がやりたいと思う企画をいかにやるか」
あるのはその思いだけです。

今思えば、それはそれでとても楽しい時間でした。
そしていつしか、ラハイナで企画をし、ラハイナでライブをするようになり、ラハイナがその「表現をする場所」となって行きました。
お客としてハイスタを見ました。
CDを渡すのが精一杯でした。
ハスキンとライブをしました。
磯部君とじっくり話が出来た事を覚えています。
キャプヘジとライブをしました。
天才とはこうゆう人の事を言うんだと思いました。
レーベルメイトであった、グーフィー、イージー、ポップキャッチャーと散々遊びました。
切磋琢磨する仲間がいる事は財産です。
くるりとライブをしました。
バンドの素晴らしさと、ちょっとおかしなスタッフの嫌がらせを受け、両極端で笑えました。
時にはメジャーバンドのツアーでライブをやらせてもらいました。
有名、無名、関係なく、素晴らしいバンドとのライブを沢山しました。
ALLOUT、素晴らしかった。
ビークルは凄かった。
ハワイアンも凄かった。
やっとの思いでノットリに来てもらい。
祈る思いでモガが来てくれ、バーべーキューしました。
ハイローズで初めてヒロトを生で見。
木村カエラちゃんも生見。
そんなこんなで、アスパラとして再会ライブ。
ラハイナで見るトレマは最高で。
トゥモロー、ネーブル、アウトサイダー、青リンゴジュース、iGO・・・ 近くのバンド、遠くのバンド、新たなバンドでの再会・・・

うーーーーん!!!   

うーーーーーーーーーーーーーん!!!!

記憶失念!!!

本当に申し訳ありませんが、とにかく色々ありすぎた場所!
泣いたり笑ったりしたライブハウス。
始まりがあれば終わりがある。

いま問われるのは、俺達が次にどんな動きが出来るか。
誰かに問われるでなく、自分たち自身が自分達に問うべきこと。

さよなら、そしてありがとうラハイナ!
また会おう!




■2011年1月号      賀正                                    NO.117
新年明けましておめでとうございます。
今年も一年、よろしくお願い致します。

2010年を振り返ると、ライブは11本でした。
計画性を持って動けば、もう少し出来たかなとも思いますが、何分「リーマンバンド」ですので、ご了承ください。

さてさて、もう少し振り返ってみると・・・ ドクスナさんは今年の3月で満17歳となり「18年目の年」となります。
そこで色々考えました。
20年目のタイミングで、年末スペシャル的なタイミングで。
DR.SNUFKINオールスターズLIVEを行いたい!
詳しく申しますと、現在連絡が取れる範囲ですがこれまでこのバンドを作り上げてくれたメンバー達に協力してもらい、3部構成くらいでライブをやれないものかと。

どうでしょう?

「ユルイな~」なんてお感じですか?
でも、もしこれがやれたら幸せもんですよ。
それまでバンドが続いているかわかりません。
一人ではやれないからね。
別に今悩んでるとかそんな話ではありません。
皆それぞれ家庭や仕事があり、生活がある。
その上にバンドは成り立っています。
ということです。

あとは毎度毎度で恐縮ですが、新曲は少しづつ出来ています。
あとはそこに「詩」という魂をブチ込むだけです。
ブチ込むだけなんですが・・・

やります!

年齢を重ねるにつれ、時間の流れが早く感じられます。
当たり前のように流れていく日々の生活。
そんな「当たり前」と感じられることに感謝しつつ。
皆様、今年もよろしくお願い致します!






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